2025年12月15日
ICUナースだった私が「在宅の最期」にこだわる理由 ─ 祖母の看取りから学んだこと
代表の渋谷です。ICUにいた頃、私は「人の最期」は、点滴ポンプのアラーム音やモニターの波形に囲まれた姿だと思っていました。
強い昇圧剤で血圧を維持し、全身はむくみ、何本ものチューブが体から伸びている。
それでも家族に「できることはすべてやっています」と説明する。そんな場面を、何度も経験してきました。
病院での看取りは、間違いなく必要な医療です。私自身、そこで多くを学び、育ててもらいました。
ただ、その「当たり前」だった景色を、根本から揺さぶった出来事があります。北海道の実家で、祖母を在宅で看取った経験です。
ICUで見てきた「病院の最期」
ICUは、とにかく濃い現場です。
1時間ごとに採血データやバイタルを確認し、レントゲンやCT、各科のカルテを読み込み、わずかな変化から次の一手を考える。
「ここで数値を少しでも戻せれば、あと数日、家族と過ごせる時間が増えるかもしれない」
そんな想いで、ほとんど“時間との戦い”のようにケアしていました。
人工呼吸器、昇圧剤、体位変換、ルート管理、家族説明。
頭も体もフル回転で、自分なりに「命と本気で向き合っている」と感じていました。
だからこそ、チューブやモニターに囲まれた最期の姿が、自分の中では“普通”になっていたのだと思います。
祖母の「家での最期」との出会い
一方で、北海道の実家にいる祖母は、家族や親戚が午前・午後で交代しながら通う生活をしていました。
私は離れて暮らしていたので、時々会いに行って、「最近どう?」なんて他愛もない話をする程度。
祖母が亡くなったのは、私がいない時間帯でした。
急いで実家に戻り、布団に横たわる祖母の顔を見たとき、思わず息をのみました。
点滴もチューブもつながれていない。むくみもほとんどない。
穏やかな表情で、まるで昼寝から起きる途中のような顔で、静かにそこにいました。
「人って、こんなふうに亡くなることができるんだ」
ICUで見てきた最期の姿とは、あまりにも違う光景でした。
その瞬間、「亡くなるなら、こうありたい」。心の底から、そう感じました。
そして同時に、「こんな最期を支えられる医療に関わりたい」という強い想いが、はっきりと形になりました。
病院の最期も、在宅の最期も、どちらも正しい

誤解してほしくないのは、病院で亡くなることが「悪くて」、在宅で亡くなることが「良い」という単純な話ではないということです。
状態的に在宅が難しい方もいるし、本人や家族が「病院での見守り」を望むケースもあります。どちらも正しい選択です。
ただ、ICUで多くの最期を見てきた私にとって、祖母の在宅での看取りは、「人が本来持っている最期の形」を見せられたような衝撃がありました。
家の匂い。窓から差し込む光。台所で小さく鳴る食器の音。
そんな日常の中で、家族に囲まれながら静かに旅立つ。その時間を支える訪問看護師の存在が、どれほど大きな意味を持つのか。
当時はまだ訪問看護に興味を持ち始めた頃でしたが、「自分が関わりたいのは、こっちの医療だ」という確信に変わった瞬間でもありました。
「一緒にいてくれるだけでいい」というケアの価値
ICU・救命センター出身の看護師に多いのですが、「何かしていないと申し訳ない」という感覚が染み付いている人が多いです。
私もそうでした。
採血、処置、指示受け、記録、家族説明。常に“手を動かしていること”が価値だと思っていました。
訪問看護を始めた頃、あるご家族から、こんなふうに言われたことがあります。
「ここにいてくれるだけでいいんです」
正直、最初は戸惑いました。何か特別な処置をしたわけでもない。バイタルも、普段と大きくは変わっていない。
「本当にこれでいいのか」「もっと何かできることがあったんじゃないか」
再入院が決まったときや、ご逝去の報せを受けたとき、自分を責めるような気持ちになることもありました。
それでも、家族から返ってくる言葉はいつも、
「来てくれているから、助かっています」
「あなたがいると、安心していられます」
というものでした。
データや処置だけでは測れない価値。「そこにいてくれること」そのものが、誰かの人生を支えることになる。
ICUで学んだスピード感や判断力と、在宅で学んだ「一緒にいること」の重み。それらが、自分の中で少しずつ統合されていきました。
だから私は、「在宅の最期」にこだわる

今、私が複数の訪問看護ステーションを運営しながら、在宅の最期にこだわり続けている理由は、とてもシンプルです。
人が、自分らしく生ききるための選択肢を増やしたい。
その人が望むのであれば、家で、家族と一緒に、自分らしい形で最期を迎えるという選択肢も、ちゃんと用意されている社会であってほしい。
もちろん、全員が在宅を選べるわけではありません。現実的な制約もたくさんあります。
それでも、「本当は家で看取りたかったけれど、どうしていいか分からなくて諦めた」そんなケースを、一つでも減らしたいと思っています。
訪問看護は、そのためにできることが、想像以上に多い領域です。
ICU・急性期出身のあなたへ
もし今これを読んでいるあなたが、ICUや急性期病棟で働いていて、
「このままずっとここにいるのか」
「別の形で、もっと患者さんの人生と関わりたい」
そんなモヤモヤを抱えているなら、在宅というフィールドは、一度見てみる価値があります。
あなたが培ってきた観察力や判断力は、在宅の場面でも大きな武器になります。
急変の兆候にいち早く気づくこと。これ以上の治療が難しい状況を、冷静に捉えること。そのうえで、本人と家族にとって何が一番良い選択なのかを一緒に考えること。
「病院の最期」と「家での最期」。どちらの良さも知っている看護師だからこそ、できる関わり方があります。

在宅の最期に関わりたいと思ったら
ここまで読んで、少しでも「在宅の最期に関わってみたい」と感じたなら、一度、現場を見に来てほしいと思っています。
見学でも、オンラインでのカジュアル面談でも構いません。実際に、利用者さんやご家族と向き合うスタッフの姿や、事務所の空気を自分の目で見て、肌で感じてみてください。
公式ラインから、見学・面談のお申し込みができます。

祖母の在宅での看取りが、私の人生の方向を変えたように。
あなたにとっての「これから」の選択肢を、在宅というフィールドの中で一緒に探せたら嬉しいです。
ぴゅあ訪問看護グループ